「過渡期」を越えて

「過渡期」を越えて(『演劇創造』2015年掲載)

萩原一哉(大阪府高等学校演劇連盟事務局長)

 大阪府の高校演劇は、いま、「過渡期」なかにある。昨年度は緑風冠高校の吉田美彦先生、追手門学院高校の阪本龍夫先生、鶴見商業高校の松山正民先生が連盟の常任委員からご退任された。これまで大所帯の大阪を支えてこられた先生方がここ数年のうちに去られ、メンバーも一新されることとなる。

ぼくは昨年から事務局長を任され、この変化に連盟がどう向き合っていくのか考えさせられることが度々あった。

演劇部の顧問になって4年、演劇のことも舞台のこともわからないぼくにとって、連盟の先生方の後姿は心強く感じられた。特に上記お三方は多くの先生方にとっても特別だっただろう。生徒が主体となりクラブや連盟の活動を行っていく現在の大阪の有り様は、吉田先生や阪本先生、松山先生抜きにはありえなかったと思う。夏に大阪市内の小劇場を借り切って「のり打ち」を行う大阪高校生演劇フェスティバル(HPF)、生徒たちが実行委員を組み、連盟全体で取り組んできた府大会の姿、あるいはまた合同公演や持ち寄り公演などを通じて盛り上がってきた地区活動、エネルギーあふれる大阪の芝居のイメージの底には、連盟にかかわってこられた先生方の、生徒の感性にすべてを委ね、そこに立ち上がってくる可能性を信じようとする強さと誠実さがあった。

4年前のことを思い出す。大阪の演劇連盟が60周年を迎え、記念行事として行われた教員合同公演に30名以上の先生方が集まり、金蘭会高校のホールに集まった600名以上の観客の前で宮本研の『美しきものの伝説』を上演した。この公演を呼びかけられ、演出をされたのは吉田先生。ベテランの素晴らしい先生方に混じって、若い顧問がたくさん集まり、ぼくもまたその席の片隅に居場所を持つことができた。演劇など未経験だったぼくにとって、稽古のたびに語られる先生方の言葉は、今から思えばとても贅沢で、とても美しいものばかりだった。自分たちが向き合ってきたもののすべてを、一つひとつの場面のなかに織り込みながら、芝居を作っていった。東日本大震災と福島第一原発の事故があったのはその本番1ヶ月をきった稽古の最中だった。

演劇とは何か、演劇は目の前の現実とどう向き合うことができるのか、そして高校生という、いまを生きる生徒たちにとって舞台の上に立ち、何事かを表現するとは何か。参加した教員たちは真剣に問い直していた。そしてこの芝居で歌われる「花咲かそ、花咲かそ、死ぬほど生きた人たちのために」という一節が、ぼくたちの背中を押した。演劇は過去を現在へとつなぎ、やがて訪れる未分の明日のためにあるのだと、確信をした瞬間だった。

いま、大阪の高校演劇を担う多くは、この芝居に参加し、あるいはその上演に立ち会った若い教員や生徒たちだ。そしてぼくもまた、多くの先輩たちの志を引き受けつつ、未来へと投げ返していく使命を感じている。

演劇という未知の世界に飛び込んで4年、去年、一昨年と近畿大会の大舞台を経験させていただきながら、いま、顧問として、連盟の事務局長としてはっきり言えることがある。時代とはいつもその「過渡期」のなかにあるのだということだ。だがその「過渡期」を「一つの時代」へと変えていくのは、時間ではない。それは、過去を未来へと投げ返していく行為のなかに、ともに生きる「いま」を生み出していくことなのだ。その一つが2年前全国最優秀に輝いた鶴見商業高校の「ROCK U」であり、今年全国大会に出場を決めた緑風冠高校の「太鼓」だったのではないか。そしてその芝居を大阪の地で目撃したぼくたちは、その問いを繋いでいかないといけない。大阪の高校演劇はいま、そのことが問われている。

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